2012.05月 村上知亜砂『 Fiber Collage 』

2012年5月3日(木)~5月13日(日)
会場:とかちプラザ アトリウム

素材:羊毛 ジュート コーヒー

「神戸ビエンナーレ2011アートインコンテナ」
に出品した時に使用した素材でコラージュをしています。

  

  

  

  

  

  

  

本展は
『緑と風の器2012~帯広市民芸術祭』の一環として展開されました。

村上知亜砂
1973年 大阪生れ
1995年 成安造形短期大学造形芸術学部デザイン専攻科卒業
2002年 北海道へ移住
2007年 WORLD IN MOTION 2.0 「記憶をめぐる~始まりの場所~」 帯広市
2008年 2008年 第12回フラッグアート展2008 in GIFU  入賞
2009年 2009年第9回北の構図展 「コロニー」 帯広市
2010年 JRタワーアートボックス 優秀賞 札幌市
2011年 神戸ビエンナーレ アートインコンテナ国際コンペティション 
    奨励賞 神戸市

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神戸ビエンナーレ2011アートインコンテナ
FIBER WORK 『道のり』

キラキラと輝く魅力は、我々人間が本来持っている力、そのものだ。

ブラジルジュートは、コーヒー豆の麻袋などに使われている天然素材である。
しかし、このジュートというアジア原産の植物が、
ブラジルの地に根ざすまでには、
遠く海を渡って来た日本人移民達の、想像を絶するような努力と、
長く厳しい「道のり」があった。

神戸ビエンナーレでは、
かつてこの地から出航していったアマゾン移民達の足跡を、
長さ12mのコンテナ内に再現した。
誇らしげにジュートをまとったコンテナをくぐると、
連綿と続いてきた開拓の「道のり」が、
ファイバーワークで表現されている。

1930年代、ブラジル。
アマゾンでは不可能だといわれていたジュート栽培に初めて成功したのは、
日本から来た開拓移民だった。
当時、ジュートは、コーヒー豆などの麻袋として欠かせないものだったが、
イギリス人の独占するインド産のジュートを輸入するしかなかった。
そこでブラジルでのジュート栽培を実現させるため、
農業と語学を学んだ高等拓殖学校の若き学生達やその家族ら、
多くの日本人が、ここ神戸からも海を渡っていった。
しかし、何度試みても、
ジュートは大きく育たないうちにすぐ枝分かれしてしまい、
商品としては不十分だった。
アマゾンの苛酷な環境下での彼らの挑戦は困難を極めた。

そんな中、尾山良太の育てたジュートも、
やはり短いまま成長を止めてしまった。
それでも諦めきれずにいると、
広大な畑の中にたった一本だけ大きく伸びたジュートを発見した。
これこそが後に尾山種と呼ばれる、貴重な変異種であった。
尾山はそのゴマよりも小さな種子を10粒ほど採取し、大切に育てて、
ジュート栽培をついに成功させる。

これは日本人移民の偉業として、ブラジルで大きく称えられた。
「日出ずる国から来たリョウタがこの地にジュートをもたらした」
以後、ジュートは移民たちの手で全国に広められ、
ブラジルの重要な特産物となった。

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2011.07月 村上知亜砂 『 Passage ~時の通り道 』
2011.04月 村上 知亜砂 『Passage』
2010.12月 村上知亜砂『Fiber Work 2010 – 10 – 』
2010.12月『村上知亜砂 Fiber work 2010 〜 9 〜』
2010.09月『村上知亜砂 Fiber work 2010-6』&『とかるね』
2010.04月『村上知亜砂〜Fiber work 2010 Ⅲ〜』
2010.03月『村上知亜砂 ファイバーワーク2010〜2』
2010.02月『村上知亜砂 ファイバーワーク2010〜1』
2009.08月 村上知亜砂『献花~永遠の記憶』
2009.06月『村上知亜砂 「Inside」「Outside」』
2009.05月『村上知亜砂〜Gloomy cocoons〜陰鬱な繭』
2009.02月『第9回北の構図展』〜村上知亜砂作品〜
2008.05月 村上知亜砂『記憶をめぐる〜重層〜 』
2007.12月 村上知亜砂『記憶をめぐる~生命のダンス~』
2007.01月 村上知亜砂『記憶をめぐる〜始まりの場所〜』