『空想動物の苑』のこと 2006/6/18 + 8/27

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「路上落書き」は実は「歩行者天国」の定番のイベントです。色つきのチョークを用意しておき、自由に路上に落書きしてもらおうというものです。実際、その「自由」というのがクセモノで「自由」に描けるかというと、実は大変難しい。タカサカの幼きころを思いだしてみても、瞬間わぁ!と思うのだけど、チョークは進まず、ぐちゃぐちゃとした模様を描くのが関の山。そんな経験もあったので、少し「落書き」イベントにタカサカの思いを刷り込ませてみようの考えたのが今回のイベントでした。

テーマは身近な動物にしました。そして想像するための短い文章を用意しました。
「象のようですが、羽があります」というような文章です。

「自由」に絵を描くという行為に枠をはめてみたのです。その枠は柔軟に発想していくための切符みたいな位置付けです。一度描き始めると、空想は羽を広げ、チョークは滑らかに路上に動物を生み出していくのではないか?と考えたのです。

「空想動物」としたのも明確な理由がありました。自由な発想をしようとする描き手の回路を外部圧力から守るための装置としたかったのです。

例えば、「ねこ」を描くとすると、それぞれに「ねこ」のイメージがあり、外野は簡単に自分のイメージを描き手に強要するような言動をするのです。ねこにしては耳が長いだとか、ねこにしてはひげがないだとか、ねこにしては脚が多いだとか、などなど・・・。

自由なあふれ出てくる発想を守りたかったのです。心無い知らず知らずのうちの「ダメ出し」を無力化するために「これもあり」という雰囲気をはり巡らしたかったのです。

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そして、参加者には老若男女の別なく声をかけて一緒に絵を描きます。路上で描く行為に対して、どうぞ思った通りに描いてみて下さいと声を掛けることはとても重要に思えたのです。

特に、家族連れの場合、わざと子どもに直接声をかけるように心掛けました。それぞれが別の存在であるということを明確にしたかったことと、余計な口だけを挟む親から引き離したいという思いもあったからなのです。横から指図するだけの大人にはチョークを持たせて、隣で絵を描いてもらうようにしました。

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思い通りに描けない現実にぶつかると、人はとても謙虚になるようです。中には上手な絵を描く大人もいるもので、そんな時はキャッチボールや釣りが得意な感じで子どもからはまた特別な存在に思えるように思えました。

アサヒ・アート・フェスティバル
http://www.asahi-artfes.net/

田園都市のコンテンポラリーアート2006 雪と風の器
http://voluntary.jp/artokachi/

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